Once Upon A Time

アクセスカウンタ

zoom RSS 邑久長島大橋(岡山県瀬戸内市)

<<   作成日時 : 2017/04/03 21:31   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

昭和63年2月竣工

邑久(おく)長島大橋と名付けられていますが、虫明の街と対岸の長島との間の「瀬溝の瀬戸」と呼ばれる潮流の早い海峡を跨ぐ橋

画像


全長185mの橋に「大橋」の名が付けられたのには、やはり、この橋の意味することの大きさを表しているように感じます。

邑久の街を抜けると目の前に水色のアーチ橋が見えて来て

画像


この橋の意味すること。
この先に「長島愛生園」があることを思うと・・・

画像


渡りながら、心が締め付けられる思いがしました。

通行量が少ないこともあってか、バスなど大型車両はすれ違うのは難しいから、その場合は、橋の袂でお互い待ったり譲ったりして渡るのかな?

渡り切って・・・振り返ると・・

画像


ある意味、特に特徴的なこともなく、どこにでもあるようなアーチ橋ですが

約30年前に架けられたこの橋は・・・

画像


昭和6年3月に長島に設立された国立療養所「長島愛生園」に初めてハンセン病の患者さんが収容され、その後、「邑久光明園」も作られ、半世紀以上、この狭い海峡が、差別の障害になっていました。

療養所と呼ばれていますが、当時は、ハンセン病に決定的な治療方法が無かったため、患者さんは、絶対隔離を鉄則に、この先の長島から一歩も出ることができず・・・。

過酷な生活から抜け出そうと、この場所を泳いで脱出しようとされた患者さんもいたようですが、「瀬溝の瀬戸」と呼ばれる潮流の早い海峡のため、命を落とされた方もいらっしゃったとのことです。

ハンセン病が解明され、治療薬も作られるようになり、隔離する必要がなくなったにも関わらず、偏見は残り

橋の建設を長島/虫明の人たちが陳情を始めて、橋が架かるまで17年もの長い時間がかかったことから、この問題の根の深さを感じます。
そのため、この橋には「人間回復の橋」と言う別名がつけられていることから、「大橋」と言うことも頷けます。

橋の袂には、高松宮妃殿下の歌碑が残っています。
高松宮両殿下は、戦後間もない、昭和23年に「邑久光明園」を訪れたことがあり、殿下が亡くなられた後、妃殿下お一人でこの橋を渡られて再訪されたようです。

「長島の 橋をわたれば 亡き宮のこと なつかしく 思いはるかな」

画像


橋から先は、きれいに舗装された道路が続いていて

画像


直ぐ先には、「邑久光明園」があるのですが、今回は、その先にある「長島愛生園」を目指すことに



しのびつか公園(岡山県瀬戸内市)
長島愛生園-後編(岡山県瀬戸内市)
長島愛生園-前編(岡山県瀬戸内市)
邑久長島大橋(岡山県瀬戸内市)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
邑久長島大橋(岡山県瀬戸内市) Once Upon A Time/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる